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学院女子、元気です(第3回)遺骨収集ボランティア 内野 仁美「遺骨収集ボランティアから見えてきたもの…。」

2016/02/12
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「加害者家族の葛藤」という内容で卒業研究発表会を終えたばかりの内野さん

第3回は、卒業研究発表会を終えたばかりの人間福祉学科4年内野仁美さん。内野さんは戦没者の遺骨収集ボランティア活動に参加し、昨年の11月24日~12月9日には硫黄島へも。なぜ、遺骨収集のボランティアを始めようと思ったのか、参加して見えてきたものが何か、を聴きました。

聞き手 和久 雄亮(入試広報グループの駆け出し広報担当)

場所 町田キャンパス 附属図書館ラーニングコモンズ

 

和久:なぜ遺骨収集のボランティアを?

内野:私は人間福祉学科で福祉の勉強をしているので、高齢者の生きた時代を知りたい、それに高校生の頃から高齢者施設でボランティアをしていましたから、高齢者の方と深いところでつながりたいといつも思っていました。70代以上の高齢者には戦争が現実の体験です。でも私たちの世代には記録としての戦争であって記憶ではない。だから、少しでも記憶に近づきたいと思いました。私たちの世代は、戦争を体験された方から直接お話を伺える最後の世代といわれています。体験者の貴重な言葉を繋いでいきたいと思いました。

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硫黄島の擂鉢山。米軍が星条旗を掲げた場所硫黄島の壕。火山の影響で壕内は50度超えも
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沖縄での遺骨収集現場沖縄の喜屋武岬。多くの方が身投げされた

 

和久:遺骨収集で実際に沖縄や硫黄島に行って何を感じましたか。

内野:硫黄島は映画とかの印象で岩や砂しかないと思っていましたが、実際は緑豊かで・・・不謹慎かもしれないけど・・・すごくきれいだなっていうのが最初の印象でした。硫黄島では8時から17時まで遺骨収集、それからは自由時間で島内を歩いて回りました。自衛隊の方がランニングをしていたり、本当にのどかで、70年という月日が、遠いようで近い、近いようで遠い、不思議な感覚でした。

 

和久:戦争の痕跡は。

内野:戦争の跡は、見えていないだけでたくさん残っています。沖縄では自決に使った手榴弾の弾痕など、生々しい跡を見てきました。戦後70年ですが、多くの方々が経験した戦争への思いの上に、今の日本があるんだなとあらためて実感します。

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沖縄のガマ(自然洞窟)脚立で下ります入口は狭く、人ひとり入るのが精一杯
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壕内は真っ暗です慎重に丁寧に遺骨をお迎えします

和久:遺骨収集ではどのようなことをするんですか?

内野:沖縄では原生森をかき分けたところにある防空壕で収集活動をしました。壕には脚立を使ったりして入ります。入口は人一人で精一杯。壕内はさらに狭く、這いつくばらないと進めない箇所もあります。もちろん、中は真っ暗。懐中電灯の明かりだけが頼りです。現場ではまず黙とうします。それから、どこで眠っているか分からないご遺骨を傷つけないように、丁寧に慎重に掘り起こします。硫黄島では、遺骨の風化が激しく、さらに慎重にお迎えしました。立っている場所に遺骨が眠っているかも知れないので、歩くのも慎重になりました。

和久:遺骨収集中や、そして遺骨を迎えた時に内野さんが思ったことは?

内野:見つけたいという思いでいっぱいです。遺骨収集では、ご遺骨をお迎えできるのが奇跡だと思うんです。硫黄島で小さなご遺骨をお迎えしたことがあります。もしかしたら土に紛れてしまい永遠にお迎えにできなかったかもしれない、そう思うとその奇跡に感謝したい。逆に、お迎えできなければその場にいないと分かる。それはそれでうれしいと思うんです。

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沖縄で見つけた万年筆。残念ながら持ち主は分からなかった

和久:遺骨収集で見つけた印鑑が遺族のもとに帰ったというニュースがありますね。

内野:一緒に参加したメンバーが見つけたものですが、新聞に特集されました。(注:「兵士の印鑑、故郷に帰る 沖縄遺骨収集で発見、大学生ら遺族捜し 函館出身・浜岡敏雄さん所持品 /北海道」毎日新聞2015年12月16日付 地方版)

私は沖縄で万年筆を見つけました。名前が彫られていれば誰のものか分かったのに、残念でした。70年前、この万年筆で手紙や日記に思いを綴っていたかと思うと、胸が張り裂けるようでした。本当はそこで遺骨も見つけたかったのですが、収集の期限に間に合わず、ご遺骨を見つけることはできませんでした。ただ、今でもあの時の万年筆の「重さ」を忘れることはできません。 

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この経験を後の世代に伝えることは私たちの使命だと思います(内野さん)

和久:私は新潟県中越地震が起きた時ボランティアに行ったことがあるのですが、あの経験が災害やボランティアを考えるベースになりました。内野さんはボランティア経験を通じて自分が変わったと思うことはありますか。

内野: 私は高校時代に老人保健施設、大学時代は遺骨収集それ以外にも東日本大震災災害救援活動・静岡県西伊豆水害救援活動、埼玉越谷市竜巻災害救援活動、東日本豪雨災害救援活動など様々なボランティアに参加しました。そこで思ったのは「ありがとう」という感謝の気持ちです。遺骨取集であれば「私にお迎えさせて下さり、ありがとうございます」という思いです。この感謝の思いは大学での福祉の学びに活かせました。私は4月から夢だった病院での相談援助の仕事をします。東京家政学院大学やボランティア活動を通じて学んできた「ありがとう」という感謝の思いを胸に、仕事に取り組んでいきます。

 

和久:最後に後輩へひと言アドバイスを下さい。

内野:いろいろなことに挑戦して欲しい。やりたいことを見つけたら、自分の一生の宝物になる可能性があります。ただ、宝物にするには挑戦する必要がある。是非、みなさんも東京家政学院大学で学び、やりたいことにどんどん挑戦して下さい。

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内野 仁美

(人間福祉学科4年)

戦没者の遺骨収集のボランティアに参加。

大学2・3年生の時は沖縄、そして4年生では硫黄島へ。

4月からは人間福祉学科で学んだことを活かして、病院で医療ソーシャルワーカーとして働く予定。

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