東京家政学院大学 Tokyo Kasei Gakuin University

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【学長メッセージ】2015年度(平成27年度)卒業式告辞 卒業生、修了生のみなさんへ

2016/03/27

本日、東京家政学院大学は学部学生494名に学士号を、大学院学生5名に修士号を授与し、この学び舎から次の社会に送り出すことになりました。

卒業生、修了生のみなさん、おめでとうございます。ご家族、関係者のみなさん、おめでとうございます。

 

あたたかな春らしいこの日、みなさんをお送りするにあたって、私はひとつだけお話しをしたいと思います。

 

数日前、何気なくスイッチを入れたテレビ番組で、中南米に生息する「ハキリアリ(葉切蟻)」を取り上げていました。ハキリアリは文字通り、「葉っぱを切る蟻(Leafcutter)」という意味です。

ハキリアリは体長3ミリ~20ミリという小さなアリですが、働きアリが木に登り、自分の何倍もの大きさの葉っぱを切り取って、巣まで運びます。葉っぱを掲げ、巣の奥まで運ぶアリの行列は見事な映像でした。

なぜ葉っぱを巣の奥まで運ぶのか?映像では、ハキリアリが「アリタケ」という特殊な菌類を栽培する姿を映していました。葉っぱが「アリタケ」の栄養源となって育ち、育った「アリタケ」がハキリアリの栄養源になります。

 

ここまでのお話しでお分かりと思いますが、ハキリアリは私たち人間と同じように、栽培=「農耕」を行なっている、「農業するアリ」だといわれています。

 

しかし、私がみなさんにお伝えしたいのは、アリ科のある種が「人間のように」農耕を行う、ということへの驚きではありません。

 

この映像を観ながら、私は昔読んだ中国の作家、魯迅の掌編、を思い出していました。「人間のいうこと」と題されたその一編は、魯迅がオランダの作家ヴァン・エーデン(F.van.Eeden)の童話『小さきヨハネ』を引用してこう書いています。

 

「小ヨハネは二種の菌類(きこの)が互いに争論するのをきいていて、横から一こと『彼らは両方とも有毒だ』と批評すると、菌(きのこ)たちはおどろいて、『君は人間か?それは人間のいうことだよ!』と叫んだ…(岩波書店『魯迅選集第九巻』p.181)

 

この後、魯迅は続けて、「きのこ」を食べようとするから人間は有毒か無毒かを気にするが、「きのこたち」にとっては全く無関係なこと、と書き、当時の中国社会の有り様へと話しを進めます。

 

大学に進学した私は、図書館の司書に頼み、童話『小さきヨハネ』をオランダの図書館から取り寄せて貰おうとしました。残念ながらそれは叶いませんでしたが、この一編が頭から消えることはありませんでした。

わたしたちの社会は多様性に満ち、自分とは異なった存在がたくさんあります。人間はもちろん、地球上の生物、地上や空中、水中で生きるあらゆるものを、「人間のいうこと」で「批評」していないか、と思うことがあります。

「人間のいうこと」の「人間」を違う言葉に置き換えてみると、またその意味がはっきりとしてきます。おとなのいうこと、上司のいうこと、若者のいうこと、健常者のいうこと、日本人のいうこと、などなど…。

卒業生と修了生のみなさんが、これから日々暮らす「社会」は大学時代とは違う、いっそうの多様性に溢れています。自分と異なる存在に向き合った時、みなさんが「小ヨハネ」としてではなく、相手をどう受け入れようとするのか?それを「やさしさ」といっても、「寛容」といっても、言葉足らずとは思っていますが、東京家政学院大学・大学院で時を同じくしたみなさんに私が期待したいのは、「やさしさ」や「寛容」として現われる「何か」、つまり本学の理念にある「徳性(人間性)」です。

 

では、振り返って、私たち大学人は「人間のいうこと」を超えることが出来ていたのか?「教員のいうこと」あるいは「職員のいうこと」ではなく、学生・院生への「やさしさ」や「寛容」、あるいは「学生の感情」、「学生の希望」を共有していたのか?

みなさんの卒業・修了を機に、そのことをじっくり内省することになります。

 

卒業生、修了生のみなさん、おめでとうございます。

 

平成28年3月18日

東京家政学院大学学長

廣江 彰

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