創設者 大江スミ

     創設者 大江スミ

東京家政学院の創設者大江スミは明治8(1875)年9月、長崎に生まれました。

父・盛太郎は若くしてグラバー商会を設立したトーマス・ブレーク・グラバーに仕えました。グラバーは、幕末の激動期に新しい日本を創ろうと若い情熱を抱く坂本龍馬やその仲間の志士たちを陰で支えた人物でした。

若き盛太郎も進取の気風のみなぎるグラバー商会の空気にふれ、新しい国づくりと自分の人生への夢を育てた一人でした。後にグラバーは、岩崎弥太郎が経営する三菱造船会社の顧問となり、上京します。盛太郎も彼のあとを追って上京し、はじめはグラバーの口利きで海軍省の職を得、のちに大隈重信の縁故で宮内省大膳職に転職します。スミはそうした開明的な父と母のもとで生を受け、6歳のときに上京して芝鞆絵小学校に入学します。

スミには生まれた時から左耳のわきに黒いしみがありましたが、それが成長するにつれ左目のまわりに大きく広がり、大きなあざとなりました。当時の日本社会では、こうした容姿のハンディキャップは、女性が結婚するうえで大きなマイナスになると考えられていました。そのため、両親は「スミにはどこまでも学問をさせて、将来自活のできるようにしてやらねば」と考え、名門の東洋英和女学校に入学させます。

     東洋英和女学校時代
     最後列右から二番目

入学と同時に寄宿舎に入ったスミは、日常的にキリスト教の教えにふれるなかで、大きな精神的な変化を経験していきます。顔のあざのせいで自分は「不器量者」という劣等感に苦しんできたスミは、神の前で人間は平等であるという信念のもとに分け隔てなく接してくれる教師たちに、しだいに心を開いていきます。また、「神様は(治すことの出来ない人の外形ではなく)、進歩させることのできる心を見てくださるのだから」という教えにふれ、スミは自分の前途にひとすじの希望を抱くようになります。

明治27(1894)年、20歳で東洋英和女学校を卒業したのち、数学の教員として同校に勤め、明治30(1897)年、女子高等師範学校に進学します。女子高等師範学校卒業と同時にスミは沖縄に赴任しました。当時の沖縄は遠隔地のため、赴任を嫌う人も少なくなかったのですが、スミはむしろ自らの信念・信仰を鍛えるよいチャンスととらえ、奉仕的人生の出発点として進んで沖縄に赴任しました。

    ベッドフォードカレッジ

しかし、まもなくスミは文部省より家政学研究のための英国留学の命を受け、1年3ヶ月で沖縄を去ることになります。

明治35(1902)年、イギリスに留学したスミは、ロンドンのバケィシー・ポリテクニック(工芸学校)の家事科に入学しました。当時のイギリスにおける家政学とは、家事の実際的知識が中心でした。スミは留学の大半をバケィシー・ポリテクニックでの研修に費やし、家事に関わる実践的な技術を身につけました。

     留学時代のスミ

さらに、日露戦争で留学が一年間延びたことを利用して、ベットフォード・カレッジ衛生科に入学し、社会衛生学をマスターして同カレッジを卒業しました。ベットフォードでの勉学は、スミにとって、狭い実用としての家事技術の習得に限られていた家政学を、広い社会的視点から見直す契機となります。そこから、スミは家政学が単なる家事上の実用的技術に終らず、社会の基礎単位である家庭生活の質を高めることによって、社会生活それ自体を豊かにする学問であるとの確信を得ます。

また、イギリス留学中に、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツなどヨーロッパ諸国を旅して周ったスミは、各国の女性たちの社会活動、とくに働く女性の生活と子どもの養育に目を向け、女子教育の重要性と家政学がはたすべき課題についての認識を新たにしました。

こうしてスミは、ヨーロッパ諸国の女性たちの生活や文化を自ら経験することを通して、広く社会的視点からとらえる科学としての家政学こそが、さまざまな生活課題を発見し、解決していく、いいかえれば人びとの「しあわせ」につながる学問であることを確信していきます。

広く社会の動きをとらえる「知識」(knowledge)、その知識を実際の生活に生かすことのできる「技術」(Art)、知識や技術を人びとの「しあわせ」のために使う「徳性」(Virtue)という、のちにKVAスピリットといわれるものは、こうした諸外国での広く深い生活経験が基礎となっています。その貴重な経験をあとにつづく若い女性世代に伝えようとして、大正12(1923)年、東京家政学院の前身である家政研究所を設立しました。

私たちは社会のグローバル化がはじまる遥か100年以上前に、こうした先見的な考えと高い志を抱き、学院を設立した創設者を誇りに思い、その志を後世に引継いでいきたいと願っています。

出典:「ひとひらの雪として-大江スミ先生の生涯-」「東京家政学院50年史」「東京家政学院創立80周年記念誌」
※関係資料は東京家政学院大学附属図書館に所蔵されています。