【附属図書館】大江文庫所蔵[江戸・明治時代の折本などに描かれた庶民のくらし](三番町)[江戸時代の料理書](町田)を展示中

江戸時代・明治時代の一枚摺り・折本に描かれた庶民のくらし

江戸時代から明治時代、一枚の紙に印刷した刷り物は一枚摺り、一枚ものと呼ばれ、とくに庶民の間で流布しました。瓦版、見立て番付、錦絵などがあります。
一枚摺りの多くは、冊子状の料理書などに比べて安価でした。橋口候之介『江戸の本屋と本づくり』によると、一枚摺りの多くは再生紙を使い、1,000部から10,000部も印刷したとされています。瓦版が4文程度、錦絵も安価なものは、16文から買えたようです。16文は、そば一杯の値段でしたし、屋台の天ぷらは1串4文でした。
今回の展示は、惣菜の見立て番付、子ども向けの錦絵の道具づくし、1年の惣菜ヒントの一枚摺りを紹介します。
また、紙を折ってつくる折本と呼ばれたものの中には、仏教関連のものもありますが、簡易なものは、庶民の知識や生活のヒントになるものもあります。展示では、病気や蛇に噛まれたなど生活の中で出会うハプニングの対応についてのヒントを示した史料を紹介します。
これらを通して遊び心を感じながら暮らしていた当時の人びとの気持ちを想像いただければ幸いです。

千代田三番町キャンパス展示

①『明治大見立改正新版』明治期

江戸時代後期から明治時代にさまざまな見立て番付が発行されました。これはおかず番付のひとつ。東は野菜、西は魚類です。東の「大関」は「八はいどうふ」、西は「しじめじる」(シジミの汁)です。関脇は、とうふじる、しこのめざし(カタクチイワシのめざし)、と続きます。
「八はいどうふ」は、豆腐を細く切り、水、しょうゆ、酒を6:1:1の汁で煮て、おろし大根を置いた料理。再現してみるとだしはなくてもなかなか美味しい料理です。下欄に「牛肉」があるのも明治らしい番付表です。
①八杯豆腐

②『日用倹約料理仕方角力番附』江戸時代 (コピー)

江戸後期のおかず番付のコピー。原物は、地方を巡っている「和食展」に貸し出し中です。精進方の大関は「八はいどうふ」で、西の大関は「目ざしいわし」です。
魚類方にまぐろの料理が比較的上位に出ています。当時まぐろは下魚として扱われましたので多く登場したともいえるでしょう。次第に江戸の刺身やにぎりずしに使われるようになり、普及していきます。
写真は「前頭」の「まぐろからじる」、おからとまぐろの汁です。まぐろからだしが出てうま味のある美味しい汁になります。
②まぐろから汁

③『新板勝手道具』嘉永6年(1853)

江戸時代後期から明治時代に流行した「おもちゃ絵」と呼ばれる子どものための錦絵のひとつで、台所道具を集めたものです。かちかち山など昔話のあそび絵もありました。子どもたちは、この絵を切り取り遊びに使いながら、生活の中の道具を学ぶこともできたようです。良く見ると、青い色に薄く描いた道具が見えます。隠し絵の一種でしょうか。
嘉永6年は、ペリー提督がアメリカ大統領の国書を携え、「黒船」で来航した年。日本が変化しようとする頃の台所の道具類ですが、今は使わなくなったものがほとんどです。子どもになったつもりで、何に使ったのか考えてみてはいかがでしょう。

④『改良勝手道具盡』明治20年(1887)

これは明治期の「おもちゃ絵」の台所づくしです。左上のマッチは明治になって工場で生産されるようになります。左下に石油と石炭が描かれています。それまで薪など木材に全面的に依存していた時代から、ガス、石炭、石油が近代のエネルギー源となり、灯火用だけでなく台所の熱源として広がりつつあることも、この絵から感じることができるでしょう。
このような「おもちゃ絵」は、子どもたちの楽しい遊具でもあったため、きれいで完全な状態で残されることが少なく貴重な史料といえるでしょう。

⑤『年中惣菜盡(ねんじゅうそうざいづくし)』嘉永2年(1849)()()

江戸時代の陰暦では、1年の調整に閏月をもうけました。嘉永2年は4月に閏月があるため、1年13カ月となりました。これは、13カ月の惣菜のヒントを1カ月ごとに絵付きで紹介しています。年の初めは、恵方に向かって七草を囃すのが料理のはじめと記され、台所の壁に貼っておくと重宝だと記しています。
毎月の惣菜の紹介では、如月(2月)は「どうぞおまへと夫婦になって、はやく小まつ菜からしあへ」、葉月(8月)は「こはだこのしろもうそろそろと、むき身も出かける月見過」など、当時流行った七七七五調のどどいつ風で記されています。

⑥『新増妙薬手引大成』安政4年(1857)

⑥-1新増妙薬手引大成
⑥-2新増妙薬手引大成(一部)

著者の香月牛山は江戸時代中期の医師。生活の中で直面するかもしれない様々な病気や虫などにかまれた時の処置などをわかりやすく記した、両面刷りの折本と呼ばれるものです。いろは順に絵入りで記されています。歯が痛むときの対処に胡麻を煎じて飲む、蜂に刺されたときに、山椒をかみ砕くとか、蕗の葉をすりつぶしてその汁をつけるなどもありますが、井戸に落ちた人を救う方法などもあります。
香月の著書には、中国の漢方医学をもとにした本がいくつかありますが、この折本の内容には、民間伝承的な内容もあるようです。

町田キャンパス展示

『江戸時代の出版料理書と特徴』 ―絵のある料理書を中心に-

江戸時代は、それまで料理流派の中だけで秘伝として伝えられていた料理が、出版料理書という形で不特定多数の人々に開かれた時代でした。出版は、彫り師により版木に掘られた字や絵を摺師により和紙に墨で手刷りしたもので、1枚を二つ折りにして重ね、表紙を貼り付け綴じて本にします。
初めて出版された料理書は、寛永20年(1643)に出版された『料理物語』です。その後、次々と料理書が出版されます。最初は京都の出版元(書肆)や大坂から出版されましたが江戸の書肆も加わりました。文字は、漢字仮名交じり文で書かれています。寺子屋のテキストなども同様の文字で書かれていましたので、多くの人たちが読むことが出来たと思われます。
料理書の価格ははっきりしませんが、これまでの研究では、一般書は8匁程度で、今の価格で5,000~6,000円くらいだったようです。貸本屋も発展しましたので、きっと多くはそれを利用したのでしょう。
大江文庫には、初めて出版された『料理物語』から江戸後期までの多くの出版料理書を所蔵しております。その中から絵のある料理書を中心に展示して紹介します。

江戸時代の出版料理書の特徴  各時代の特徴的料理書を簡単に紹介します。
1)江戸初期  中世の特徴や料理流派の特徴をもつ料理書
『料理物語』(1643)
初めて出版された料理書。食材、汁、煮物、だしなど簡単な料理を紹介。以後、ほとんど登場しない「獣之部けだもののぶ」があるのが特徴で中世の料理の影響が残されています。

2)江戸中期  材料別料理書「百珍もの」の流行
自由な発想の料理書が登場し、遊び心のある料理書が登場します。
『豆腐百珍』(1782)は100種類の豆腐料理を紹介。以後「百珍もの」と呼ばれて、大根、卵、鳥、甘藷、鯛、こんにゃくなどの材料別料理書が出版されました。

3)江戸後期  各種の料理をテーマにした3~4編の料理書
*『料理早指南』(初~四編 1801~1804) 
*『素人庖丁』(初~三篇 1803~1820)
*『江戸流行 料理通』(初~四編 1822~1835) 
儀礼的な本膳料理、魚鳥料理、精進料理のアイデア料理、卓袱料理、普茶料理、行楽重、食具などの料理や食具を紹介した総合料理書ともいえるものでしょう。

①『料理物語』(1643)

出版された初めての本として知られていますが、著者も出版元(書肆)も不明です。江戸に近い「武州狭山」(現 埼玉県)で書いたと記されていますが、魚の方言は関西のものが多く琵琶湖の魚も記されていますし、かなりの知識を持った人のように思えます。
後の料理書にはほとんどない「獣之部」には、鹿、狸、猪、兎、川うそ、熊、いぬの料理が簡単に紹介されています。「鳥の部」は野鳥類の紹介。鶴はもっとも貴重な鳥で、将軍や大名の饗応では汁物などに登場しました。
再現した「ごぼう餅」はすり鉢の役割がよくわかり、新ごぼうで作るとその香りの豊かさが感じられる美味しいお菓子です。
①ごぼう餅

②『魚鳥料理饗応書』(刊年不記)

内容の同じ料理書に『当流 料理献立抄』がありいずれも刊年は不詳ですが、宝暦(1751~63)年間とされています。1700年の半ば頃から遊び心を加えた料理書が刊行されるようになります。本書も漫画風の挿し絵を入れて解説しています。最初に「料理は四座の能のごとし献立は番組なり」として、魚を頭に置いた能衣装の人物が描かれるなど初期とは異なる楽しい料理書に仕立ててあります。
展示部分は、炭をおこして焼物をしようとしている絵です。そこには「切り目のうをやくには海魚は身の方よりあぶるべし 川魚皮目よりあぶるなり うなぎはむのかわなど皮めより火にかけざればそりかへりてなんぎなるもの也」と記されています。

③『豆腐百珍』(1782) 『豆腐百珍続編』(1783)

③-1豆腐百珍

豆腐料理ばかり100種集めた材料別料理書です。大変好評だったため翌年にはその続編が出版されました。『豆腐百珍』もその続編も豆腐料理を尋常品、通品、絶品などに分けて紹介しています。各種の調理法の様々なアイデア料理が考案され、再現してみると簡単で美味しく今でも応用できる料理が多いことに気づかされます。
*鶏卵様(たまごとうふ):当時流行した見立て料理。卵の黄身を人参、白身を豆腐に。
*墨染豆腐:すりつぶした昆布を豆腐に混ぜて型に入れて蒸したもの。吸物の実に。
展示の口絵の絵は『豆腐百珍』では豆腐田楽を焼いている図。続編は目川(現滋賀県)の菜飯と田楽の店を描いたものです。東海道五十三次の街道沿いの店が有名でした。
③鶏卵様
③墨染豆腐
③-2豆腐百珍続編

④『料理早指南』二編(1801)

他の料理書にはみられない行楽重が描かれ、その献立も紹介されています。江戸後期、庶民も含めて花見などにお弁当を持参して楽しむようになります。献立は、花見、船遊び、ひな祭りの重詰めなど上・中・下のランクごとに記されています。
花見重「上」の献立は、かすてら玉子 わたかまぼこ、筍甘煮(初重)、蒸しかれい、さくら鯛のすし(二重)、ひらめ、さより刺身(三重)、薄皮もち、かるかん(四重)などの料理のほか、曲げ物の割籠(わりご)には焼おにぎりなどがあり、徳利などに酒を入れる献立です。持ち運びできるように取手がついている重箱と酒器をセットにした食具は、「提げ重」と呼ばれました。 

⑤『<餅菓子即席>手製集』(1805)

菓子類は、料理書とは区別して扱われることが多いのですが、珍しい絵がありますので、ここで紹介します。
著者は、『東海道中膝栗毛』で知られた十返舎一九で、挿絵も本人の手によるとされています。餅菓子ばかりではなく、16世紀にポルトガルから伝来した南蛮菓子の「かすていら、ぼうる、あるへいとう、南蛮あめ」なども紹介されています。展示の挿絵は、何を焼いているところでしょうか。上と下に炭火が置かれています。当時の天火(オーブン)と考えられます。かすていら(現在のカステラ)が伝来したことで、それまでなかった焼き方の手法が広がるきっかけとなりました。

⑥『素人庖丁』三篇(1820)

袖の中に入るほどの小形本で、袖珍本とも呼ばれました。素人とはありますが、内容をみると、材料別のアイデア料理で鯛やあわびなど高級食品も扱われ、当時流行した卓袱料理や普茶料理なども紹介していますので、素人の料理ともいえないようです。
漫画風な挿絵が多いのも特徴で、これらを通して当時の人びとの暮しを想像することもできるでしょう。展示は、すり鉢を使って料理を作る様子を描いています。
写真の再現料理は安芸(現広島県)の祇園坊柿の干し柿の種を取り、中に甘栗を入れて揚げ、輪切りにした「柿衣」と名付けられたかわいらしいお菓子です。これは、昨年から今年の2月まで国立科学博物館で展示された再現料理の一つです。
⑥柿衣

⑦『江戸流行 料理通』三編(1829)

本書は、当時江戸の高級料理店として知られた八百善の四代目主人栗山善四郎が出版した4編の料理書の1冊です。当時の著名な亀田鵬斎、太田南畝などの文人が序文を書き、谷文晁、葛飾北斎などが挿絵を描いている文化的色彩の高い料理書です。
本書では、みりんを入れた煮物が多く紹介されています。それまで煮物に甘みを加えることは、あまりありませんでしたが、甘煮に砂糖などで甘みをつける習慣が定着していきます。
展示された部分は、酒宴を楽しむ様子です。大平、丼、鉢などの器に酒の肴が盛られています。

⑧『都鄙安逸伝(とひあんいつでん)』(1833) 『竈の賑ひ』(1833)

⑧-1都鄙安逸伝

いずれも天保飢饉の際に出版された料理書で、2書の内容は同じですが、絵が異なります。前者は大坂で、後者は江戸で出版されています。内容は、雪花菜きらず(おから)飯、南京瓜(かぼちゃ)飯、里芋飯、大根飯などのいわゆるかて飯や粥の作り方を述べた料理書です。興味深いのは、その挿絵です。
『都鄙安逸伝』は、大坂の商家の台所です。家の中に井戸があり、かまどは土間から火を使う形、まな板に足があるなど江戸とは異なる特徴がみられます。
⑧-2竈の賑ひ

『竈の賑ひ』は、江戸の長屋の様子です。6畳ほどの狭い部屋では、飯と汁を作るための2口の竈があります。木製の流しと水がめが土間にあり、外では上水井戸から汲んだ水で洗い物をしている様子です。

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