【千代田三番町図書館】大江文庫所蔵展示を更新しました -茶植え、茶摘みと製法の錦絵-

日本での茶の歴史は古く、古代に遡ります。中国から持ち帰った茶の木の栽培が広がり、茶は僧侶たちの眠気を覚ますことなど薬効的な役割がありました。鎌倉時代には抹茶法による喫茶がひろがり、茶の産地をあてる闘茶も流行します。室町時代以降、わびやさびを尊ぶ茶の湯が発展しました。現在広く飲まれている煎茶は、江戸時代に発展します。
 
今回の展示は、明治6年頃の文部省発行〈幼童家庭教育用錦絵〉の中から、茶の植つけ、茶摘み、茶の製造までを扱った3枚の錦絵を中心に展示します。茶の生産は宇治茶が古くから知られ代表的生産地となりました。宇治茶を紹介した錦絵および江戸時代の書物を紹介するとともに煎茶の飲み方を描いた書物も展示します。

茶植附(ちゃうえつけ)(ちゃうえつけ)の図」         「茶摘の図」             「茶を製す図」          

「茶植附の図」では、茶の実から育てる茶の木を紹介していますが、挿し木による方法もありました。
「茶摘の図」では、4月の節(現在の5月頃)に入り、摘み始めるとあり、先端の若芽を摘む一番茶のようです。その後、二番茶を摘み、三番茶は番茶に製すとあります。
「茶を製す図」は、摘み取った茶の葉をせいろに入れて蒸し、板の上で揉み、敷紙の上で干し、さらに焙炉(ほいろ)にかけて弱く加熱しながら仕上げる様子(手前)が描かれています。

「宇治茶製之図」三代歌川広重『大日本物産図会』(1877)

宇治茶の製法として、せいろで手早く蒸し上げ、それをむしろの上に広げ、うちわであおいで冷やして葉を(よ)るとありますので、前の錦絵の茶の製法とほぼ同じといえるでしょう。明治期には、静岡の生産量が群を抜いて増え、京都はもちろん、鹿児島、三重、滋賀、埼玉などその生産地は全国に広がります。

註:以前展示した『大日本物産図絵』のURL
https://www.kasei-gakuin.ac.jp/news/20231010-21558/


 「宇治茶摘」  『日本山海名物図会』(1797)

『日本山海名物図会』は各地の産物を集めた書物です。その一つに宇治茶の茶摘みや製法が記されています。栄西が持ち帰った茶の実を(とが)(のお)(とがのお/現京都市)で育てて茶園とし、宇治にもつくられたこと、江戸時代になると宇治の茶園のほうが盛んになったとその歴史が簡単に記されています。4月(現在の5月頃)に茶葉を摘み煎茶を製するとも書かれています。
その製造方法をみると、明治期の錦絵の方法とはやや異なり、ゆでたのち、締め木で締め、水気をとったのち干すとあります。宇治では抹茶用の茶(碾茶)もつくっていましたので、煎茶の方法ではないのかもしれません。

「茶を(のむ)体」  『女今川姫鏡』(1763)

江戸時代、武士や町人などの娘に教養をつけるための書物が数多く出版されました。そのなかに、煎茶の飲み方が絵入りで示されることもありました。きゅうすで入れる煎茶は、煎茶道と呼ばれる茶道としても発展しました。
(右ページ左側の絵)